以前、播磨一宮である伊和神社に行った際に思いついた、播磨国五宮巡りを行ってきました。
ちなみに播磨国の五宮は
の五社です。
ちなみに一宮とは
延喜式神名帳に記載された神社のことを「延喜式内社」、「式内社」、「式社」と呼びます。
今回とは関係ないのですが、播磨国の総社は「射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」です。
姫路では"そうじゃ"ではなく"そうしゃ"と呼ばれています。
#射楯兵主神社といわれてもピンと来ないけど、総社って言われると分かりますね。
そもそも総社というのは、
時間ができたら総社に行ってみようと思います。
#Wikipediaは便利やなぁ・・・
話しを戻して、何故、五宮巡りをしたかというと、
道の駅に須行名(すぎょうめ)屋台が展示されているので、見に行ったことが発端なわけです。
その時に、伊和神社について調べていくうちに、五宮に辿りついたというわけです。
五宮あるんであれば、全部回ろうっていう単純な発想だったわけですな(笑)
というわけで、巡った順に写真を紹介していきます。
先ずは播磨一宮、伊和神社です。
Technoratiのタグ : 社寺仏閣 , 播磨国五宮
ちなみに播磨国の五宮は
の五社です。
ちなみに一宮とは
一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。ということです。
一の宮・一之宮などとも書く。
通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。
一宮の選定基準を規定した文献資料は無いとされるが、準公的な一種の社格として機能した。
一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼ぶ。
(一宮 - Wikipediaより)
延喜式神名帳に記載された神社のことを「延喜式内社」、「式内社」、「式社」と呼びます。
今回とは関係ないのですが、播磨国の総社は「射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」です。
姫路では"そうじゃ"ではなく"そうしゃ"と呼ばれています。
#射楯兵主神社といわれてもピンと来ないけど、総社って言われると分かりますね。
そもそも総社というのは、
古代日本の国司にとって、着任後最初の仕事は国内の全ての神社を巡って参拝することであった。総社は国司が全ての神社を回るのが面倒くさいからってことなんですねぇ。
平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが広まった。
そのため総社は一般に国府の近くに置かれた。
かなりの数の総社は中世にいったん廃れ、後に再興されたものである。
中には今に至るまで再興されずにいるものや、どれが総社だったのかわからなくなってしまったものもある。
(総社 - Wikipediaより)
時間ができたら総社に行ってみようと思います。
#Wikipediaは便利やなぁ・・・
話しを戻して、何故、五宮巡りをしたかというと、
道の駅に須行名(すぎょうめ)屋台が展示されているので、見に行ったことが発端なわけです。
その時に、伊和神社について調べていくうちに、五宮に辿りついたというわけです。
五宮あるんであれば、全部回ろうっていう単純な発想だったわけですな(笑)
というわけで、巡った順に写真を紹介していきます。
先ずは播磨一宮、伊和神社です。
20090321-播磨五宮巡り |
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