智頭急行に乗って来ました その9

智頭急行に乗って来ました その1
智頭急行に乗って来ました その2
智頭急行に乗って来ました その3
智頭急行に乗って来ました その4
智頭急行に乗って来ました その5
智頭急行に乗って来ました その6
智頭急行に乗って来ました その7
智頭急行に乗って来ました その8の続きです。

平福駅を発車した列車は、次の停車駅である、石井駅に向かいます。

石井駅に到着。そして、ほどなくして発車。
上郡から数えると、最後の兵庫県の駅となります。


列車は石井駅を発車し、宮本武蔵駅に向かいます。

なんでか線路をみていると、飽きないんですよねぇ・・・。

宮本武蔵駅に到着。

駅名が示す通り、宮本武蔵の生誕地伝承があるので、この名前となっています。
在所は岡山県美作市今岡になります。

駅周辺には、宮本武蔵ゆかりという伝承のある旧跡、名所などがあります。

ちなみに
宮本武蔵の生誕の地

戦国時代末期の剣豪宮本武蔵は、生涯不敗と言われるほどの剣の達人で、諸国を放浪し多くの伝説を残すほどでありながら、武蔵の誕生については未だ特定されていません。

宮本武蔵の生誕地にはいくつかの説があるようですが、武蔵自らが五輪書で播州生まれと記していることをはじめ、播州高砂での生誕を示す史料が数多く残されていることなどから、近年では高砂生誕説が最も有力視されています。

作州・大原町では、最も早く宮本武蔵の生誕説を唱え、生誕地碑を建立し町を挙げて武藏の生誕地をアピールしてきたことや、作家・吉川英治氏の小説「宮本武蔵」の中では、美作国の宮本村(岡山県大原町)で生まれたと記されたことなどから、大原町が生誕地であることが全国的に定説として信じられているようです。

昭和初期に書かれた小説宮本武蔵の執筆後、高砂生誕説を裏付ける有力な史料が発掘されたとして、武蔵は播磨の米堕村(よねだむら・現高砂市米田町)で生まれ、美作の宮本村に養子に行ったとする説が正しいとされています。

しかしながら現在でも宮本武蔵の生誕については明確に解明されていません。
(宮本武蔵生誕地・武藏のゆかりの地/兵庫県より)
とうことで、宮本武蔵の生誕地については、はっきりとわからないということです。
私は兵庫県人なので、播磨國であって欲しいなぁと思っていますけど。

時間のあるときにでも、宮本武蔵関連で高砂をウロウロしようかなぁなんて思ってみたりしてます。

でもって、ほどなく宮本武蔵駅を発車。
次は大原駅に停車します。


その10に続きます。

智頭急行株式会社
智頭急行 - Wikipedia

宮本武蔵生誕地・武藏のゆかりの地/兵庫県

鉄道むすめ ~鉄道制服コレクション~
鉄道むすめ - Wikipedia

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20120812-智頭急行
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2 件のコメント:

砂地尚茸 さんのコメント...

宮本武蔵は、播州高砂説が有力みたいですねぇ~
作州・大原町にしたら、たまったもんじゃないでしょうが・・・

まーちじゃっど さんのコメント...

>砂地尚茸さん
ですねぇ。
播州高砂、播州太子、作州大原に生誕地伝承があるようです。
ただ、播州高砂で資料が沢山見つかっているようです。

播州高砂は生誕の地
作州大原は修練の地
豊前小倉は大成の地
肥後熊本は終焉の地

というのが武蔵の生涯を表してるようですね。

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